アーカイブス

1996年 飛鳥上海クルーズ紀⾏ Vol.01

TMC5周年を記念して客船飛鳥で、東京→佐世保→上海→神戸→名古屋のクルージングを実施。

船内で様々なイベントを行いました。

下記は、このクルージングに参加した北村さんの回想レポートVol.1です。

 

1996 年8 月17 日(土)

東京晴海埠頭から吹奏楽と五色の紙テープに見送られて、いよいよ 8 泊 9 日の船旅が始まった。レインボーブリッジを後に、東京湾から太平洋に出て遠州灘沖を⻄に向かう頃には、いよいよ待望のディナータイムを迎えた。

ところで飛鳥のディナーでは日によってドレスコードが定められていた。

ドレスコードにはフォーマル、インフォーマル、カジュアルの3種類があり、それぞれ指定された服装で食事会場に出掛けなければならない。フォーマルでは、男性はタキシード、女性はイブニングドレスなどの正装とされていた。

今回の飛鳥乗船を機にタキシードを新調した会員も大勢いたが、その後
タキシードを着る機会があったのだろうか?
今回のクルージングは TMC 企画なので、会員は乗船客であると共に主催者メンバーでもあり、毎晩オーガナイザーズルームに集合して、夜遅くまで翌日の打ち合せを⾏っていた。いかにも TMC らしいと言えばTMCらしい。

 

   

 

1996年8月18日(日)

2 日目は紀伊水道から建設中の明石海峡大橋の下を通って、いよいよ瀬⼾内海に⼊った。天気は快晴、風も浪もなく海⾯は鏡のように穏やかであった。

島々の合間を縫ってゆったりと進む飛鳥の甲板でひねもすプール・カクテル三昧を楽しむのもよし、また船内の様々な催事に参加するのもよし、日頃の仕事も忘れて船旅を満喫する 1日であった。

瀬⼾大橋、来島海峡大橋の本四連絡橋を通過し、日付が変わる頃には関門橋の下を通って関門海峡を抜け、玄界灘に⼊った。
ところで昨晩、船内がザワザワしていた。

何と T 旅⾏会社が M さん家族の一人のパスポートを持ってきていなかったことが分かった。今回は旅⾏会社が一括して乗客のパスポートを預かり中国のビザを取得していた。ビザ取得後のパスポートは個人に戻されるか、そのまま旅⾏会社が保管するかであったが、事もあろうに旅⾏者会社が預かったパスポートを忘れてきたのである。M さんは一人を残して旅を続けることは出来ず、泣く佐世保で下船せざるを得なくなった。

夏休みの家族旅⾏も、TMC会員との思い出作りもすべが水の泡となった。

このパスポート事件は後々TMCの語り草となった。

 

 

 

1996年8月19日(月)

朝、戦前の軍港であった佐世保港に⼊港、
地元の盛大な歓迎を受けた。今回のクルーズでは、博覧会誘致委員会から預かった「E
XPO2005 国際博覧会を愛知で」の横断幕を船腹に掲げて⼊港し、万博誘致を宣伝す
ることとしていた。

夕方の出港までは自由時間で、ハウステンボスに⾏った会員が多かった。
夕方、出国手続きを終えて再び乗船し、上海に向かって出港した。

 

 

       

 

1996年8月20日(火)

今日は一日中東シナ海を航行、台風や低気圧がなければ東シナ海も穏やかだが、瀬戸内海と違って見えるのは海・海・海ばかりで、楽しみは船内のイベント。佐世保からはアグネス・チャンさんやハウステンボス創業者の神近義邦さんも乗船し、ホールでの講演や船室での懇談会などを満喫した。また船内にはクルーズに先だってTMC会員・家族を対象に実施された意識調査「国際社会の中で今後の日本の進むべき道」のアンケート結果も掲示されていた。

夜、船外は満天の星空であった。

 

 

 

1996年8月21日(水)~23日(金)

21日早朝、長江沖で暫く停泊した後、長江を少し遡っていよいよ上海に到着、上海港でも「EXPO2005国際博覧会を愛知で」の横断幕を船腹に掲げた。明日夕方の出港までは自由行動で、22日夕方上海港を出港した。飛鳥クルーズもいよいよ折り返し点。23日は東シナ海から太平洋に出て四国沖から神戸に向かった。

帰りの船内では、夜、社交ダンスパーティーが開催された。このダンスパーティーの感動がその年12月と1998年12月のTMCダンスパーティー開催に繋がったことは言うまでもない。

 

 

企画:TMC

レポート&Photo:北村

 

TOP