フォーラム記録

TMC臨時総会フォーラム

 


2004年2月28日(土) 14時30分〜18時40分
(受付14時00分〜)
新東通信8階ホール
名古屋市中区丸の内3−16−29

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プログラム
<臨時総会>
       

<休憩>


<次世代リーダーが新ビジョンを語る>
●パネラー:
ビジネス 株式会社日本飛行船 
          代表取締役 渡邊裕之様
NPO   市民フォーラム21・NPOセンター 
          事務局次長 石井伸弘様
政治    衆議院議員     古川元久様
TMC   代表幹事       宮下豊

●コーディネーター
     :ドリシェ 代表幹事  伊藤麻美様

<休 憩>

<懇親会>                   
    M.B.Clubによるミュージックベルコンサート                  
14:30





15:00













17:00

パネルディスカッションの様子
飛行船の夢を語る渡邊裕之氏、NPOの活なかで走り続ける石井伸弘氏、前日の朝まで生テレビ出演後駆けつけてくださった古川元久氏、当TMC宮下豊代表幹事。みなさんの熱いビジョンを、当HPとリンクもしていただいているドリシェの伊藤麻美氏にもりあげながらとりまとめ進行していただきました。

次世代リーダーが新ビジョンを語る

【あいさつ】

宮下:主催者を代表しご挨拶申し上げます。TMC代表幹事の宮下と申します。本日はお忙しい中、お越しいただき誠に感謝しております。TMCフォーラムは設立と共に年2回程度行ってきました。今年のテーマは「次世代リーダーが新ビジョンを語る!」ということで本日皆さんにもお知らせしてきたところです。昨年は転職にテーマをあてました。前回は(株)ゲインの社長に来ていただいてビジネスマンの感性についてお話を聞いてきたところです。
 近年TMCのメンバーの中心であるサラリーマンの切実な問題を考えてみようと幹事の方と話していて、順番からいえば年金や失業を狙ったかもしれないのですが、今年はもう少し前向きにいこうということがテーマをこうした理由です。副代表幹事の宮嵜さんを中心に、我々幹事一同知恵を絞りやっと今日このフォーラムを実現することができました。本日、政治、ビジネス、NPOの代表の方々をお招きしております。後ほどコーディネーターからパネラーの紹介があります。
 私からはコーディネーターとして伊藤さんを紹介します。伊藤さんは女性による女性のための異業種交流会「Dream Sharing」の代表幹事をしていらっしゃる方です。私も7月から代表幹事をしていますが、横のつながりを広げていきたいと思い、一人寂しくインターネットで検索し、Dream Sharingのホームページに行き着きました。「これは何か出会いになるかもしれない」と思いメールを打ったら返事が来ました。当時はドリシェの事務所がありましたので、出かけていって初対面同士で30分以上お話をしました。そういう経緯で伊藤さんに本日のコーディネーターをお願いした次第です。伊藤さんはクリスマスパーティ等に参加されたことがありますので、TMCのメンバーの中にはご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 今回このようなビジョンを語っていただきますが、皆さんにとってよいお話をしていただけると思います。我々もきっと何かを感じ取ってこれから役に立てるものだと確信しております。1時間半くらいになりますがこのフォーラムを成功させたいと考えております。ぜひ皆さんも参加していただきたいということで挨拶に代えさせていただきます。ではよろしくお願いします。



コーディネーター:先ほど宮下さんからご紹介いただきました、女性による異業種交流会「Dream Sharing」ドリシェの代表をしております伊藤麻美と申します。本業は社会保険労務士をしており、神谷先生とも仲良くしていただいております。TMCさんの会合に初めて参加したときにお会いして大変驚きました。今後ともTMCさんと私どものドリシェ、同じ異業種交流会ということで仲良く共同で事業などさせていただければと思います。よろしくお願いします。
 本日TMCさんの総会後のフォーラムでこのような大役をいただき大変緊張しております。ですが本日お越しいただきましたリーダーの方々、私もお話を聞いてみたいと思うようなすばらしい各界の代表の方々です。不慣れな点、お聞き苦しい点があるかと思いますが何とぞご容赦いただきおつきあいくださいますようよろしくお願いします。

 ではパネラーの方々のご紹介をいたします。ビジネス部門の代表は株式会社日本飛行船代表取締役社長、渡邊裕之様です。政治部門の代表は民主党の衆議院議員、古川元久様。NPOの代表は市民フォーラム21・NPOセンター事務局次長、石井伸弘様。そして皆さまご存じの通りTMC代表幹事宮下豊さんにも参加いただいています。この4名の方でパネルディスカッションを進めていきます。


活 動 の 紹 介

コーディネーター:今のご紹介では会社名や所属団体名だけを申し上げました。リーダーの皆さんが現在どのような業務や活動をなさっているのかを、ざっくばらんにお話しいただきたいと思います。まずは渡邊さんから株式会社日本飛行船の現在の業務内容、今後考えていらっしゃるビジネス展開についてお話を伺いたいと思います。


渡邊:私どもの株式会社日本飛行船は出来立てで、2年前の3月に名古屋で設立されました。どんな会社かといいますと飛行船なるものを買ってきて日本で飛ばそう、飛ばしてお仕事をしようという会社です。

【飛行船の歴史】
 飛行船は何度か日本の空を飛んでいて、戦前、早くは明治時代、国産の山田式飛行船が飛んでいます。戦前は陸軍、海軍でも飛行船隊がありました。1番大きなエポックとしては昭和4年(1929年)、グラーフ・ツェッペリン号という大型の飛行船が世界一周の途中で霞ヶ浦に立ち寄ったことがあります。ところが軍縮の余波もあったのでしょう、昭和8年に海軍飛行船隊が解散、それ以来戦前の飛行船の歴史が絶たれてしまいました。それが復活したのが昭和43年。私が小学校5年生のとき、小学校の上空に飛行船が飛んできました。当時の先生は偉かったと思います。ただちに全校生徒を校庭に出してくれて、私たちは手を振りました。行ってしまうのかと思っていたら校庭の上を2周して、みんな大喜びしました。それが「日立キドカラー号」といい当時カラーテレビが出始めのときの宣伝飛行船です。この飛行船はアメリカのグッドイヤー社が大戦中の昭和17年に、アメリカ海軍の練習用飛行船として造ったものを戦後ドイツに売却し、ドイツの百貨店シューバーグの宣伝をしていたのを田中さんという人が買ってきて飛ばしていました。ところが日本は、台風は来る、雪は降るで飛行船にとっては厳しい環境の国です。慣れない運航整備の中、残念ながら高知の海岸で台風に遭ってしまい、実は何とか乗り切れる方法はあったのですが、当時のクルーの技量ではガスを抜いてしまうしかなく、自滅してしまいました。その後は積水ハウスがスポンサーで岡本太郎先生が目玉を描いた「レインボー号」、また国際児童年に「ユニセフ号」、TBSなどが飛ばしたりしました。私がやっておりましたのがアサヒビールの「アサヒスーパードライ号」の宣伝でした。他に一時期日本航空が子会社を作ったときのJALの宣伝とか、西武のSAISONの宣伝などもありました。東京都が飛行船を1つ持って、例えば東京サミットとか大喪の礼の警備・紹介、「選挙に行きましょう」という広報に使っていた時期がありました。

【万博に向けての活動】
 しかしいずれもバブル経済の崩壊と共に消え去ってしまいました。これにはいろいろな理由がありますが、1つは確かにバブル経済がはじけて大企業は本業回帰といいますか、周辺への事業展開をいったんあきらめて緊縮をして、本業に投資、また人材を振り向ける逆流現象が起こったのです。そういう中で、航空会社からみても船会社からみても周辺であるという飛行船という分野は整理されてしまいました。妥当な判断だと私は思っております。
 今年は日本に飛行船がなくなって8年目になります。去年ある方々がどうしても宣伝に飛行船を使いたいということでドイツとアメリカから出張してきて、日本の空を7年ぶりに飛びました。アメリカの方はグッドイヤーというタイヤの会社、ドイツはニッセンという京都のカタログ販売会社の宣伝で、1ヶ月間飛びました。いずれにしても終わったらたたんでそれぞれの国に持ち帰りました。
 私どもの会社は中部地区のメンバーで設立したので、愛知万博を盛り上げようというのが設立の趣旨の1つです。だから何とか万博に間に合わせて飛行船を持ってきて飛ばそうと。もう1つはこれをきっかけにして長らく途絶えていた飛行船事業を復活させてしかも定着させたい、というのが設立者の意図です。商船三井客船に移り12年間海上勤務で船乗りをしていて、日本飛行船という会社ができた当時は、ちょうど世界1周を日本丸という客船の上でやっていた最中です。国土交通省航空局の事務許可が何かと必要で、経験者でなければ許可をいただけないと言われ、声を掛けていただきました。そして一昨年の7月から参加しています。最初は運航担当として運航だけみていてくれればよいと言われましたが、社長が体調を崩して大きな経営陣の交代ということで一昨年の12月から社長に就任致しました。

 実際は開業までにはまだまだずっと準備が必要です。日本航空の場合は4年間、商船三井の場合は3年間かかりました。今回我々の場合は頑張って、2年半で立ち上げようとしています。明日ドイツに出張し、うまくいけば3月1日の午後購入契約を締結するということになります。本年の6月に引き渡しを受けます。私とともに運航部――飛行船のライセンスを持っているパイロット、整備士、クルー――も、3月3日から訓練を開始します。実は彼らは今日もフライトで旅立っています。飛行船は今でも乗ることはできるのですが今度の飛行船は新しいのでその転換訓練を受けて、航空局の試験官に出張していただき、ドイツで試験を受けて、免許を書き換えて持ちます。

【現在の飛行船の特徴】
 今度の飛行船は、見かけは今までご覧になったものと似ていますが、実は中に骨組み構造があります。昔はジュラルミンだった骨組みは、今はカーボンファイバーとアルミ合金等を組み合わせたものです。船体にエンジンとプロペラが3つ、両サイドと後についています。これはチルト式といい角度を変えることができます。それによって地上での係留の能力が非常に向上しました。今までの飛行船は地上の係留等のロープを引っ張ったりする離着陸作業を16、7名の人間の力でしておりましたが、この飛行船は誘導員やウィンチを操作する人以外の3人で離着陸の係留作業ができるという画期的なものです。
 これはヘリコプターのように、ほとんど垂直の離着陸ができます。浮力を調節する関係で、2人乗ったら2人降りるという独特の乗り降りの仕方があります。12名までのお客様を乗せてツェッペリン社では遊覧飛行をしています。2001年の8月からスタートし、冬は運休していますが今までに3万6千人のお客様を乗せ好評を博しており、先行き1万人の予約が入っています。船内は非常に静かで飛び上がってしまえば、立って動いても問題ありません。広い窓からの展望も豊かで、エンジンが離れているので音も静か、小刻みな振動もありません。何よりもエンジンが3基ありますので3つ同時に壊れて止まるということは非常に少ないのですが、万が一そうなっても激突型の墜落にはなりません。なぜかというとヘリウムガスの浮力がありますので、直ちにドーンと下に落ちることがない。命を損なわないで地上に戻って来られる確率が非常に高いという点で、最も安全な航空機であると考えられています。そして何より浮力を使うということは化石燃料をあまり使わないということです。ジェット機やヘリコプターは化石燃料と引き替えにスピードやパワーを得てその力で浮力も得ているのです。この飛行船はもちろんエンジンを使っていますが、一種のハイブリッド、トヨタ車のプリウスのように、両方を活かすという特性を持っています。したがって総合的にみれば非常に省エネ、空気もあまり汚さない

 20世紀の原理ではスピードというのが一番重要だったのですが、これからの21世紀はスピードが必要でない方もいるはず、むしろゆったりしたもの、安心なものを好む方もみえるでしょう。この飛行船は全長が75mあり中身が飛行機とあまり変わりません。かつては全長245mの大きさの飛行船がありました。自分の客室があって自分のベッドで寝て、ダイニングルームで食事をして、ラウンジでグランドピアノの演奏を聴いたり、カードをしながら、しかも2日間と6時間で大西洋を横断していたのです。もちろん今の飛行機の方が速いですけれど皆さんも経験のあるように、非常に狭いところで十何時間座っている旅に比べて果たしてどちらが豊かであるか。飛行機の悪口ではありませんが、時差の問題もあります。私たちは現代の技術と素材を活用し、このクラスの飛行船を何とか復活させ、これからそういう旅も選択の1つとして提供することを目論み一生懸命やっています。


コーディネーター:子供のころの夢を現在のビジネスにつなげられた大変夢のあるお話を伺えたと思います。
 続きまして民主党の古川さんです。現在のご自分の政治活動を、例えば小泉さんでしたら「郵政民営化」という一本柱に展開されているようですが、一言でこれをやりたいという言葉を1つテーマとして言っていただき、それに伴う現在の政治活動についてお話しいただきたいと思います。そしてできましたら、野党で7年と先ほどお聞きしましたが、民主党でご活躍をされる思いを合わせてお話しいただければと思います。


古川:渡邊さんの夢のあるお話の後で、今一番夢がないと思われている政治の話をするのは非常にコントラストがあるようですが、本当は政治というものはもっと夢がなければならないと思います。私が今一番目的としているのは、日本に政権交代が実現できる政治体制を作るということです。一度政権交代を実現させて、自分たちの手で政府や政権は変えることができるし、作ることができる、と日本の皆さんに認識していただくこと。今やっているいろいろな活動はすべてそこにつながっていくと思っています。
 先の総選挙で3期目を当選させていただいてから、具体的に私がやっているのは民主党が作っている次の内閣「ネクスト・キャビネット」の厚生労働大臣、とりわけ年金問題について責任者として取り組んでおります。政府から年金改革法案が出ましたが、私たち民主党の考える年金改革というものを示してもうすぐ国会に対案として出し、あるべき年金改革というものはどういうものかを皆さんに理解していただけるような論戦をしていきたいと思います。

【なぜ民主党か】
 なぜ民主党かというお話がありました。私はちょうど10年前の今ごろはアメリカのコロンビア大学に留学しておりました。卒業はしておりません。きちんと言っておきます(笑)。
 10年前の7月に日本に帰ってきて、その後石川県小松の税務署長になる予定だったのですが、役所を辞め名古屋に戻ってきました。まず、10年前では役所を辞めて政治を目指すということはあまり理解されなかった。今でこそ官僚は非常に評判が悪くなっていますが、当時は政治に比べればまだまだ官僚の方が世の中の信用も信頼もあった。もっと前には「日本は政治家がダメでも官僚がしっかりしているから大丈夫だ」と言われるほどでした。また私が辞めた当時は村山政権でした。その後細川総理は、夜中に突然記者会見して「消費税を国民福祉税という名前に変えて3%から7%に上げる」と国民福祉税構想を発表、そこから細川政権がおかしくなったと言われています。これをたきつけたのが当時大蔵省の武藤事務次官。官僚が総理までも動かして、結局内閣をつぶしてしまった。そのくらい、特に大蔵省というのは当時全盛を誇っていました。
 私が役所を辞めて半年くらいしたら大蔵省の接待スキャンダルというのが発覚しました。私も政治活動をしていて「おまえもノーパンシャブシャブへ行ったんだろう」などと、いわれのない汚名を着せられ、大蔵省出身ということで苦労したことがありました。政治家になろうとして、人事を担当している秘書課に行き「辞めます」と言ったときに、「政治家を動かしているのは俺たちじゃないか。なぜ、好んで動かされる側になりたいのか」と言われたくらい官僚側もおごっていた。正直言って私自身も官僚としてやっていたときには自分たちが政治家を動かしているという意識を持っていました。そういう時代に動かしている側を辞めて動かされる側を目指すというのは非常に奇異に思われたのです。
 大蔵省出身の政治家もたくさんいます。私の前に辞めたのは自殺した新井将敬さん、私の15年先輩ですが、その人以降はいなかった。それ以前では大蔵省を辞めて政治家になるのは政治家の娘婿が多かったのです。この前亡くなった池田行彦さんは池田勇人の娘と結婚して跡を継ぎました。当時私は28才独身で政治の世界に何も縁がない人間、役所を辞めて政治家になろうとするのは極めて異常と、役所の中でも世間からも思われた。今となっては幸いでしたが、いろいろなところから「なぜ役所を辞めたんだ」と取材を受けて、あるジャーナリストには何度会っても理解されませんでした。

 また政治家をやろうとしたのはどこかの政党から誘われたからではありません。けれど誰と、どのような人たちと一緒にやっていったらいいのかを、役所を辞めてから考え出しました。それまでの常識では官僚出身は自民党から出るというのが普通でした。いまだに「なぜ大蔵省出身なのに自民党でなくて民主党なのですか?」と聞かれることがあります。大蔵省出身の自民党の先輩議員に挨拶に行くと「当然自民党でやるんだろう」と言われたりもしました。自分が考えている政治をやっていく、そして行動していこうと考えていく中でいろいろな人に会いました。自民党の人、新生党の人、私が辞めたときの大蔵大臣は武村さんということもあって新党さきがけの人にも会いました。

【政治家を志した理由】
 そもそもなぜ役人を辞めて政治家になったか。時代が大きな転換点にあるとアメリカに行って改めて感じた。今でこそ日本も「憲法を始め変えなくてはならない」となり、「世の中が変わってきた」と多くの国民が感じるようになった。当時の日本はバブルの余韻が残っている雰囲気があった。
 しかしアメリカでは冷戦が終わってクリントン政権ができて、ゴア元副大統領がITのハイウェイ構想など新しい産業構造を作ることを打ち出しており、「世界が大きく変わってきている、日本もキャッチアップをしていかなければならないのではないか」とアメリカに住んでいたので感じていました。
 一方で役所にいて感じたのは「日本の社会構造自身も大きく変わってきている」ということです。高度経済成長が期待できるような時代ではない。高齢化もどんどん進む。実は2006年からは人口が減り始めるのです。1年2年ではなく何十年に渡って人口が減るという社会は、日本人は過去経験したことがない。日本は人口が多いから少しぐらい減った方がいいのではと思っていらっしゃる方もいるかもしれませんが、人間は自分が経験したことは想像がつくのですが、経験のないことは想像がつかないものです。
 どんなスピードで人口が減少していくかといえば、今約1億2600万人の人口が2050年には1億人になるのです。いくら今から産めよ増やせよと言ってやったって、これはほぼ間違いないと言われています。年平均に換算すると約60万人減っていく。60万人というと浜松市の人口と同じなのです。つまり1年間で浜松市が誰もいないゴーストタウンになるというイメージです。
 これから毎年日本の中で、何十年に渡ってゴーストタウンができていく。人口がどんどん減っていく社会、今、日本はそういう社会に合った構造になっているのだろうか。今問題になっています高速道路、自民党はあと9000何百キロ造ると言っているが、人がどんどん減っていく時代に今でさえ田舎のところに道路を広げて一体どうするのだろう。人口が減っていくという意味合いをほとんど考えていないような社会構造。年金の問題などまさしくそうです。
 今の年金制度、なぜ不信が生じてきたか。特に若い方々は、自分たちが払っても、もらえないじゃないかと。これまでの年金制度では、とにかく保険料はなるだけ安くしておいて給付は手厚くすると。その手厚くした分の給付を先食いしているのですがその分の負担は後の世代の経済成長と人口が増えることでまかなっていこうと。ところが、経済成長は見込めない、人口は減少していくという中では先送りができないのです。先送りすればするほど、逆に後世代の負担が重くなっている。それにも関わらず現行制度を維持しようとしているのが今の政府であります。
 年金制度に対する信頼を回復するためには、とにかく現行制度と切り離して、人口が減少し経済成長も見込めないという時代にあった新年金制度を作らなければだめです。従来と違う発想、政策を大胆に行おうとすることは、今までの発想の中でずっと政権運営をしてきた、あるいは政策を立案してきた自民党政権や官僚機構にはできないのではないか。皆さんも会社の中にいて、大企業になればなるほど自分や上司がやっている仕事を「時代が変わったからやめてしまいましょう」と多分言いにくいし、実際には思っていてもできないと思います。今の日本の状況は官僚も、自民党の議員も「こんなものが長く続くわけがない」と思っているのです。ところが「間違っていました」と言えば自分たちがやってきたことですから責任を問われる。だから先延ばしにして何とかごまかしていこうとなるわけです。

 最初に戻りますが、政権が代わることによって、それまで積み重ねてきた政策や方向性が転換をするチャンスが生まれる。先進国の多くは政権交代をきっかけにして国の方向性が変わってきています。今アメリカ社会というのは、ブッシュ政権の元でアメリカ一国主義の方向に進んできていますが、政権交代によって行き過ぎれば必ず今度は反対の方向に変わっていくと私は思っています。それがまさに民主主義で極端な方向へは振れない。これが政権交代のない国――独裁国家など――では最初はよくてもだんだんおかしな方向へ振れていって、まともな方向に戻す復元力がない。道から外れない範囲で国や社会が誤った方向へ行かないようにバランスを取って戻していく構造が私は政権交代によって実現していくと思います。そのように日本にも、ある方向性の中できちんと進んでいく、そして時代に合わない政策があれば変えていくことができる環境を政治の中でぜひ作っていきたい。そのためにも政権交代を実現させたい。こういう思いで今民主党に所属しているわけです。


コーディネーター:私どもも社労士ですので年金については「もらえるの?もらえないの?」という質問をされます。古川さんのようなバランス感覚のある政治家の方が増えてきて、「まちがいない。年金だよ」と自信を持って言える日本になればいいなと思いました。
続いてNPO代表として石井さんにお聞きしたいのですが、プロフィールを拝見しますと名古屋大学在学中からNPOの活動に取りかかっていらっしゃるということですが現在の市民フォーラム21・NPOセンターの主な活動、なぜNPOを選び続けていらっしゃるのか、思いを語っていただきたいと思います。


石井:NPOをご存じということで進めさせていただきます。NPO、行政と企業をそれぞれ、第1セクター、第2セクターと言い、NPOを第3セクター、営利を目的としない活動をする組織、非営利組織という言い方をするようです。このNPOという言葉が日本で使われるようになったのは一番早いときで1992〜3年、だいたい1995年から使われるようになっています。少し早くは1980年くらいからNGOという言葉が使われるようになりました。
 NPOもNGOも同じです。市民が「自分たちの手で地域や社会をよくしよう」「目の前に困っている方がいたら助けよう」「目の前に汚れた川があったらきれいにしよう」などお金にはならないけれど地域のために大事だということで自発的にやっている活動です。NPOが今どれくらいあるのかというと、全国で約10万あるといわれています。これは法人格を持っていない団体も含んでいます。TMCも営利を目的としない団体の1つとして活動をされているわけですが、こういう団体が全国にたくさんあります。

【NPO法と活動】
 1998年にNPO法というものができました。古川さんにもお世話になって作っていただいたし、我々も作っていく運動をしていました。辻元清美さんと加藤紘一さんがNPOを作るためのNPO議連で頑張っていらっしゃって、一番の立て役者があんな形になってしまって「なぜだろうねぇ」と打ち合わせで話しておりましたが。できた法律は使い勝手のいいものです。ですからNPO法人を取る任意団体、もしくはNPO法人からスタートする団体が増えております。今1万5千ほどあります。どれくらいのものかイメージしづらいかと思いますので他の法人と比べると、全国の財団法人の数が1万2千、社団法人1万2千、福祉法人約1万7千、法人の数でいえば肩を並べるくらいになってきました。ちなみに企業の法人数、株式会社と有限会社を合わせた数は約280万。
 私などは「NPO」という言葉をどこかにないかと探してしまうのですが、メディアに出る比率も増えてはきました。ですが、実際にパワーはたいしたことないのです。例えば愛知県内の全NPO法人は約480あるのですが、年間の総予算額はどれくらいあると思いますか?4択でお聞きしたいと思います。@10億円未満A10億円以上50億円未満B50億円以上100億円未満C100億円以上200億円未満。ではお聞きします。@けっこういらっしゃる。Aはい。B…C…皆さんだいたい分かっていらっしゃいますね。約30億円くらいです。
 ちなみに名古屋市に社会福祉協議会という大きな組織があります。政府ではなく自治体でもなく民間の組織として位置付けられたものです。この1団体の年間の総予算額が約70億円です。愛知県の全NPOが束になっても名古屋市の社会福祉協議会1団体にかなわない。もちろん内容はいろいろなので、予算額がすべてではありませんが、実態はそんなものです。しかし逆転しているところも出てきているのです。名古屋市の社会福祉協議会がやっているサービスは数も多いし量も多いのですが、例えば人口10万人の半田市、高齢者の在宅介護サービスを一番やっているのは社会福祉協議会ではなくNPO法人なのです。知多市の場合も、JAがあって、次にNPO法人、次に社会福祉協議会になるらしいのですがところどころ逆転を始めているところがあります。この逆転を始めているというのが注目をされている理由の1つだと思います。今まで自治体や行政がしているサービスが追いつかない、足りない。その足りないところを隙間だと思ってやっていたのですが実は隙間でなく膨大なマーケットがあった。それを今NPO法人が取り組み始めているというのが注目される理由ではないかと私は考えます。

【活動の歩み】
 ご紹介いただきましたように私は学生のときから活動を始めています。学生のときに始めていたのは自然保護運動のようなことです。私が大学在学中に長良川河口堰が完成しています。その少し前に諫早湾の問題があったと思いますが、何で今さらこんな所にこんな物を作るのだ、という話です。私も学生だったので関心があり、名古屋から電車ですぐの所でそんなことが起きていると知って、誘われるままに、反対運動の現場に行ってみたり、デモにも参加してみたりしました。道頓堀には飛び込んだことはないのですが(笑)長良川には飛び込んだことがあります。名古屋から桑名の方へ抜ける国道1号線の橋のすぐ下が長良川河口堰の現場なのです。デモが終わった後そこから「行くぞ!」と言って飛び込んだことがあります。
 それ以降マイルドなところでは、名古屋のスーパーマーケットの環境度を調べました。例えば有機野菜を置いているか、ごみの分別をきちんとやっているか、段ボールを回収しているかなど30くらいの調査項目を作ります。1項目5点満点で全部を調査して、すべて満点だと150点になります。0点ということはないですが、30点から100点くらいまでスーパーによってかなり差が出るのです。一生懸命環境の取り組みをしているところはいい点がでるし、全然取り組みをしていないところは低い点。その低い点のところに行くのはやめよう。いい点の出たところを消費者の方に選んでいただく、グリーンコンシュマーという活動をしています。
 そのような活動をずっとしていたところ、この地域でNPOをしていらっしゃった方に「市民活動のネットワークを作るので参加しないか」と誘われました。そして関わっていたら、大学を卒業するころに「就職決まっていないだろう?」本当に決まっていなかったのです。「だったらウチで働けや」という感じになって最初は20万出すと言われました。しかし次に会って話をしたときには「ごめん、10万しか出せなくなった」ずいぶん話が違う。さらに働き始めたら「3万しか出なくなった…」何だ、そりゃ(笑)。その方の名誉のために言いますが「3万で拘束できる時間というのは月に4日か5日、そのくらいは給料分として働いてほしい。残りの20日間を働くか働かないかは君の自由だ。ボランティアでやってくれてもいいし、何も働かなくてもいい」と。何という働かせ方だと思いましたが、活動がおもしろかったこともあり続けています。
 私はあまり強く選択してきたという感じではないのです。少しずつ少しずつ舵を切ってきたらこの場所にいるというところがあります。古川さんや渡邊さんのように強い信念を持って「辞めるぞ」という決意をしたとか「変えるんだ」と思ったことは私自身なくて、ただ自分が流されるままとは言わないまでも、非常に楽に判断してきたと思っています。自分がいっしょに仕事や活動をしてきた中で、「いい人」がいるのです。居心地のいい人といいますか、この人だったらいっしょにやりたい、いっしょにいて楽しいという人がいます。そういう人に巡り会ったので「ではこの人といっしょに何かやろう」と思って動いてきた活動の結果で今この場所にいるのかなぁと思います。

 私が所属している団体の概略をご紹介します。これは私どもの活動を紹介しているパンフレットです。2つ重点事業を持っています。自治体の改革をサポートしたい、これが1つ。2つ目はNPOの個別の能力を発展させていきたい。自治体からは「なぜNPOセンターがそんなことやるのか」という話なのですが、今NPOと行政の関係はとても密になっていて、どちらも公共とか非営利とか、地域の市民のために活動している組織なので非常に親和性が高いのです。NPOがいろいろな活動をしていこうとすると、たいていすぐにぶち当たるのが行政なのです。行政の方には申し訳ないですが、いい意味でも悪い意味でも当たるのです。関係を作ろうと思うと、NPOだけが頑張っても自治体の方が変わらなければどうにもならない。そのような思いがありまして、その2つを重点事業として頑張っております。

コーディネーター:今、お話の中で「流されるまではないが楽に決断をして」とありましたが、いい人に巡り会う運もリーダーの能力の1つかと思いますので、大変いいお話をいただけたと思います。
それではTMCの代表幹事でいらっしゃる宮下さんからTMCの活動内容と今後の考えていらっしゃる展開につきましてお話を伺いたいと思います。

宮下:代表幹事をしていますが、不思議なもので私もTMCを長くやっているので、なるべくしてなってしまったのかなぁ、というのが正直なところです。
 仕事でも何があるか分かりません。前も話したことがありますが、最近英語で苦労しております。外人と打ち合わせをする機会も出てくるようになり、英語でメールが来ることもあります。そんなことが自分に起こるとは思っていませんでした。先日は読売新聞に、『中部国際空港の英語で苦労している人』という取材を受けました。2005年の2月に向けて、開港間近ですので、てんやわんやしていて、何があるか分からないという生活をしています。そういう中でTMCの代表幹事を引き受け、何とかよい会にしていこうと思っているところです。

【TMCの活動例】
 ご存じの通り私が中心に立ち上げたのは「1日先生」というもので、今オーダーがないので下降気味ですが、TMC歴代の活動の中で足跡を残すことはできたと自負しています。それは過去の話。11月には私の会社、中部国際空港の社長を連れ出して「中部国際空港にかける夢」を企画しました。多くの方に参加していただいてよかったと思います。もう1つ先日クリスマスパーティを開きました。TMCは横のつながりを広げていこうということでドリシェの伊藤さんもそうなのですが、中部地区の異業種交流会20弱、200名くらい集まって、ワイワイがやがやと、よく分からない人たちと話をし、たくさん名刺交換をさせていただきました。TMCの宣伝などもしていきながら、来年度もいろいろな会のつながりをしていきたいと考えているところです。
 自分が代表幹事になって幹事一同力になってくれています。今年も何かやろうという中で「オープンTMC」という言葉が新しく出てきました。今日のフォーラムもその一環です。先ほどの古川先生の人口が減っているお話と同じかもしれませんが、会員数が減っているという切実な問題があります。こんな中で会をどう盛り上げていくのかというところでオープンTMCというのが始まった次第です。
 もう1つ出席率も重要視しています。幹事の中では目標を立てており、50%をノルマのような数字としています。吉田さんは月例会が50%達成できているのかという報告を幹事会でしています。こういうことが何につながっているかといえばやはり会員を増やしていくということです。会を運営していこうと思うと必要最低限の最適な規模があると思います。私の感覚ではTMCを150名くらいに持っていきたい。それが事業的にもよいのではないか。会の活性化という面でも固定メンバーと毎回会っていても仕方がない。人が増え魅力が高まり出席率も高まる、これをうまく循環するように持っていきたいというのが私と幹事会中心の考えですが、会員の皆さま全てが理解されているかどうかは分かりません。幹事を務めているリーダー候補としてのお話です。

コーディネーター:TMCさんは今年で14年目ですね。長く続けるのは大変大きな力だと思います。私どもドリシェは2年経っておりませんが、同じように長く継続ができる組織としていろいろと教えていただきながら進めていきたいと思います。


次世代リーダー像・リーダー論

コーディネーター:今、ご自分の現在の活動と及び将来的なビジョンを交えたお話を伺うことができました。それでは皆さんのそれぞれの立場で思っていらっしゃる次世代リーダー像又はリーダー論を、ご自分からこういうリーダーになりたいということを含めお話しください。

渡邊:今日お配りした資料の中に、23日に出た『プレジデント』の取材で話した文章が少し載っています。
 私は商船三井の入社試験の時から「飛行船がやりたい」とばかなことを言っており当時は笑い者になっていました。以来10年近く社内報に論文を出したり、組合の――なぜ組合か分かりませんが――懸賞論文などいろんな機会を捕まえては「飛行船というものは必ず世の中のためになるし、船会社は共通点がたくさんあるからやるべきだ」と延々とやっていました。たかだか20代の奴にできるはずがないということはそれなりに分かっていたつもりです。イメージとしては現在の私くらい「40代の半ば以降に何かやれたらいいかなぁ」それか「もしその前にやれるのだったら50少し前の人を捕まえてその人を柱に立てて自分は下働きをやって事業を立ち上げたらいいかなぁ」ということを当時考えていました。
 ところが一生懸命やっていてもちっとも話が進まない。先輩や上司に「お前の話は面白い。確かにその通りだ。飛行船いいね」といってくれる人がたくさんいるのになぜ進まないのか、ある時気づきました。当然ものすごくリスクの大きいことです。話としては面白いと思っても、リスクを背負う人がいないと話が進まないのだと。それからはきっぱりと方針を変えて年が若かろうが何だろうが「自分が責任とリスクを負います、ぜひやらせてください」というように話を変えていきました。それが功を奏したのかどうかは分かりませんが、20代ギリギリで役員会の審議を得て、ちょうどその準備のさなか太平洋を出張中のことでした。日付変更線を越えて30才になったときに会社ができました。そこへ出向して飛行船を飛ばしたわけです。
 2年半くらい経ったら2代目の社長が来て、親会社で会議がありました。当時私は出向先で平社員が一気に2階級特進の部長代理という役職をもらっていました。子会社であっても社長も役員もいるわけです。親会社に報告をするための代表取締役会議に私が呼ばれるはずがないのですが、なぜか会議室から会長が呼んでいるから来いと電話が入り、会議室に行きました。新規事業ですから当然問題もあれば難しいこともある。それを上の方々が答えられない、答えたら危ないということもあったのかもしれません。上司が答えるのを待っているのですが、20秒くらい我慢して待っても結局誰も答えてくれない。最後には私の目を見ながら質問してきて、私が「はい、大丈夫です」とか答えて。そうしたいろいろな関係で疎まれ、実は半年間仕事も与えてもらえず「もういいから帰れ」とほとんど追い出されるような状況で泣く泣く帰りました。しかし単純に帰るのも嫌なので「新しい仕事をやらせて下さい」と言うと、客船でクルーズ・ディレクターというのをやれと言われました。「別にお前みたいな奴が行かなくても1年生にやらせればいいのだけどな」と人事部長に言われながら出向から出向で新しいところへ行きました。そちらで仕事をしているうちに2年が経ちました。
 すると突然「飛行船に戻ってこい」と。「そんなことを言われても今やっている仕事を放り出せません。何とか頑張ってください」と言ったのですが、アサヒビールとの契約が切れてその後住友信託が半年使ってくださり、その後も決まっていましたが、ドジなことをやった関係で逃してしまい、あたかもバブル崩壊というようなときに営業開始たった3年半で会社を閉めることになりました。その裏では「今閉めたら損が出ない」ということも実はありました。プロパーの社員がいて、飛行船界・航空界から「大きな会社ですから。始めたら数十年やれますから」と私がお願いして集めてきた人もいれば、船の現場から新しいことをやるんだ、と志願してくれた人――1番若い子では21才の船乗り――もいました。出向した人は戻ればいいけれど、移籍してしまった人は職を失います。もちろん辞めるときに親会社の社長にもサラリーマンとしては禁断の直訴をして、せめてもう一度やってほしいとまずは言いました。本当は社長がやるべきだと思いましたが、その次には「職を失う人たちに何とかグループで再就職をお願いします」それと共に「その方々への責任もありますので私は退職します」と、何とせっかく入った大きな会社を辞めてしまった。そのときに子会社の客船が「辞めるんだったらうちへ来いよ」と言ってくれたので以来12年間、船に乗っていたのです。

 私自身をどうこうと言いたいわけではないけれど、リーダーというのは志と共に責任が非常に伴います。安易にできない。皆さんのように大企業にいらっしゃる方々が、その問題をどう引き受けていくのか新規事業に限らず大きな問題ではないかと思います。格好よく言うのは簡単だが、大変なことなのです。子会社に移れば給料は7割に下がってしまうわ、家庭でも大変なことが起こってしまうわ、そんなに簡単なことではもちろんないわけです。好き好んで自分から辞めた人間はしょうがないとしても、ましてやリストラに遭ってしまった人たちはもっと大変なのです。
 だからいくら過熱なビジネス戦争をしても、人間にも人格があるように法人にも人格というものが求められるのではないか、と最近は考えています。そんなことを言い出すと「お前は経営者失格だ」と今だと首切りに会ってしまうかもしれません。でもそういうことを感じざるを得ない。今まさに大変な不況の中、非常時だから企業も生き残るのに必死です。それはそれで確かでしょう。けれども非常時だからこそ問われる人間性があるのではないかと思います。
 例えば火事で自分の家が焼けている。2階の奥におばあちゃんが寝ている。1階の奥には金庫がある。金庫の中には3千万入っている。どちらかしか行く時間がない。そのときに経済的に考えれば、おばあちゃんは保険に入っているし、あと何十年生きるか分からないから、とにかく金庫の3千万を運ぼう。それも1つの価値判断なわけです。会社に入ってさえいれば我々、とにかく人間性よりいかに事業をするか、何に価値があって何に価値がないかを企業人としてたたき込まれ何十年も鍛えられてきているのです。そういうものの言動・発想・売り方・進め方をしないと「あいつは何をやって育ってきたんだ。会社人として真っ当でない。企業人・経済人としてなってない」と批判されながら、もちろん我々も会社のためにという素直な思いがあり、そういう人間に育ってきている部分もあります。しかしそれが本当にこれから21世紀の経済人・企業人として正しいのだろうか。我々は日本の中で突きつけられているという気がします。

 現在うちの会社も大変厳しい準備状況で毎日がピンチです。設立以来4回くらい倒産のピンチがあり、私が引き継いでからでも3回くらいあります。おかげさまで何とか乗り切って今日に至っておりますが、明日をも知れない、いつ何時ピンチになるか分からない状況ではあります。そんな中でいつも余裕のある状況で申し上げているのではありません。やはり本当に人間と社会の役に立つ、意味のある仕事をやりたいというのがあります。大企業であっても考えなければならないことだと思います。意味のある仕事をやるにはどうしたらいいのか。私がかつておりました商船三井の当時の松井副社長が雑談のときに「財テクをやれば本業の事業をやるよりよっぽど利回りがいいと時々思うんだ」当時は財テクの時代で海外への企業進出が盛んでした。「いっそのこと従業員を全部クビにしてわずか数名の財テク部隊だけでやったら今よりも充分な利益が上がるかも知れない。でもそれで企業というものは企業足りうるのだろうか」とお酒を飲みながらおっしゃったのです。そのときの言葉が今でもずっと引っかかっています。
 企業の社会的責任というものは人間を雇って家族を養わせるということ。当たり前のようでいて、今はちょっとおかしくなっています。マーケットに評価されないからやらなくてもいいとか、リストラをどんどんすべきだというものでもないはずです。もちろんリストラしなくてはならないときもあるでしょう。全否定しているわけではありませんが、本音で本当のことを考えていかなくてはならない時代になったのではないかと、自分の会社が際どくすれすれでいきながらそう考えております。

コーディネーター:私も人事や労務の仕事をさせていただいております。「人が財産だ」とおっしゃるリーダーの元では、社員全員が力を結集し不景気を乗り切ろうとして頑張っていらっしゃいます。渡邊さんのお話はまさにそのもののようなお話でした。
 続いては古川さんです。日本を作っていくのは政治家じゃないかと、裏に官僚がいるという話もありましたが、政治の分野の代表として、次世代リーダー像と自分はこういう政治家になるんだという思いと共に、また古川さんがもし総理大臣になられたらどういう政権をつくるかということもお伺いしたいと思います。

古川:私はリーダーというのは別にNPOでもどんなところでも基本的に同じだと思います。私がこういうリーダーでありたい、目指すべき姿ということで5つのことを申し上げたいと思います。
  1. 明確なビジョンを持っていること
  2. 周りに左右されない自分の価値基準value positionを持っていること
  3. ビジョンと価値基準に基づいてそれを行動に移していくことができること
  4. 自分のビジョンや考えを他の人たちに伝えることができるコミュニケーション能力があるということ
  5. 前の4つがあってもこれがなくては真のリーダーとは言えないと思うのですが、人格が優れていて周りの人たちから信頼され信用されていること
 この5つを兼ね備えているリーダーになれたらいい。またそういうリーダーこそ必要だと思います。
 日本の政治の世界にそういうリーダーがいたかといえば、実は歴史上1人を除いてはいなかったと言われています。文化庁長官の河合隼雄先生から聞きました。「日本は英語で言うところのリーダーは、過去基本的には存在しなかった」日本で今までリーダーと言ってきた人は、日本語に直すと「世話役」だった。竹下さんに象徴される「気配り」してリーダーになる人だった。別にビジョンがあるとか価値基準があるわけでなくいろいろな声がある中をまとめて、とりあえずこういうふうに進めましょうやと言って、今まで世話役がリーダーというポジションに座ってきたのではないかと。
 では歴史上1人というリーダーとは誰だったのか。まさに西洋的な意味のリーダーというのは織田信長であった。織田信長のビジョンは今の時代でもつながるところがありまして、時代に先がけた考え方をビジョンとして持っていた。そしてそれを新しい価値基準というものに基づいて行動に移し、人々に伝えていった。天下統一の志半ば本能寺で倒れてしまったのは、最後の人格というところがひょっとして欠けていたのかも知れません。具体的に見ていこうと思います。

 織田信長のやった経済政策の中で特筆されています楽市楽座、それは、それまでの物々交換を基本とするものを貨幣経済に変えていくという意味があった。信長は旗印を銭のマークにしていました。それは信長が置かれていた立場がそうさせたというものでもあります。あの時代には手柄をたてて何が欲しいと言われれば領地となるはずですが、彼は尾張の小さな大名であるから部下に分け与えるほどの領土は無かったのです。そしてその時代ではそれほど価値があるとは信じられていない貨幣というものを重要視することによって、貨幣に価値を持たせていった。必要が発明の母だと言われますが、土地でほうびを与えられない分は、お金で払うという価値基準の転換を生み出した。信長は、無いところから価値を生み出したのです。
 現在加藤唐九郎の茶碗は1個何千万もしますけど、極端な話、単に土でこねたものがある人が作るとものすごい価値になるという状況を作ったのは信長です。あの時代に茶会をしばしば開いてその茶会によばれるということが名誉なことと人々に思わせるようにした。それにより茶会の中で茶器などを非常に価値のあるものへとだんだん作りあげてきたのです。土地は限られていましたが、言ってみれば織部だとかいい作家を抱えていれば、お茶碗を焼けと言えばいくらでも作ってくれて、戦に勝ったごほうびだといって茶器をやると、また新しく価値を創造していけるわけです。
 信長がある領主に、ある有名な茶器を欲しいと言ったのに渡さないので攻めたという話があります。その領主は茶器を奪われるくらいなら死んだ方がいいと言って茶器を抱えて自爆しました。信長からすれば茶器1つのために戦を仕掛けるということ、また持っていた領主も茶器と共に死ぬことで満足感を感じられるということ、それくらい茶器の価値を高めていくことにつながった。新しい時代に新しい価値を生み出し、人々に伝えて思い込ませることができた。それが織田信長なのではないか。リーダーとしての必要な大きな要素だと思います。日本では、信長以外は基本的に世話人。リーダーになろうとする人は信長に象徴されるように天寿は全うできない、途中で排除されてしまう、と言われています。

 日本では今まで世話人文化の中でリーダーが生まれてきましたが、今まさに時代背景を考えてみるとその戦国時代と同じように新しい価値を生み出すことが求められているように思います。バブル崩壊以降低迷の中で先ほど申し上げた少子化・高齢化・人口減少。今までと同じ世界じゃない。その面だけ見ると暗く思えます。日本という国だけの小さい視野で物事を考えていると、そうした縮み思考しか考えられないのではないでしょうか。しかしそうでなく、これからの時代は日本がアジア全体の一地域という位置付けの中で、「日本という国はどうあるべきなのか」という発想を持てば、人口が減っていったってあまり気にする必要はありません。アジア全体から見れば人口はまだまだ増えています。ではそういう広い視点で考えていって日本はどういう立場に立てばいいのか。日本は、アジアの中で「アメリカの中のニューヨーク」のようなポジションを目指していくべきだと私は思うのです。
 私はニューヨークに1年住みました。ニューヨークを知らなければアメリカという国を知ることができないのです。ではニューヨークが典型的なアメリカかといえばそうではありません。特殊な地域なのです。しかし小さなマンハッタン島が特殊であるにもかかわらず、アメリカというとやっぱりニューヨークと言われるような中心になっている。ニューヨークというところは小さくてアメリカ全土から比べれば人口もそれほど多いわけではないけれど、人を吸引する大きな力を持っています。そしてもっと大きいのが全土や世界に対して情報を発信する力です。ニューヨークでは今何が起きているのか、何が流行っているのかをアメリカの人たちはみんな知りたがる。そして世界中の人たちも知りたがる。だからそれを知るためにニューヨークに行く。人が集まるからまた新しい情報や発想が生まれてくる。そういう相乗作用が働いてニューヨークという街は人を引きつけかつ発信できる街になっている。
 もともと日本はアジアの中の国でありながら、そうでないような特性を持っています。しかも最近「クールジャパン」という言葉を聞いたことがあると思いますが「格好いい日本」というので日本の文化や特に若者の文化・ファッション・考え方に対してすごく影響力が大きくなっています。2年前にマレーシアに行ったとき、デパートでウルトラマンのおもちゃを売っていて、息子が好きなのでわざわざマレーシアで買いました。ポケモンやドラえもん、アジアの子供達は日本と同じテレビを見て、マンガを読んでいるわけです。若者はどうでしょう。少し前の女の子の厚底靴、中国ではすぐ流行ったそうです。日本では若い世代の文化を中心にアジアに対して発信力を持ってきている。私はそういうものを大事にしていくべきだと思います。
 これから中国などと、物作りを値段のところで競争してもとても勝てない。同じものを作るのでも付加価値の高いものを作っていくのです。トヨタの方もいらっしゃいますが、単に動く車でなくて日本でしか作れない、それ以上の高い付加価値のあるものを作っていく。そういう企業を目指すべきではないか。日本という国はもっと世界に対して、とりわけアジアの国に対してオープンになっていかなければならないでしょう。ニューヨークにあれだけ情報発信力があるのは、同時に人に対する吸引力があるからです。今の日本はそこそこの発信力はありますが、吸引力というのはあまりなく、むしろ下がっている。先日全日空の方のお話を聞く機会がありました。全日空は奨学金制度をやっているそうです。最近奨学金を申し込んでくるアジアの人たちは減っているそうです。みんなアメリカやヨーロッパへ行きたがるから。中国人が大学にたくさん来ると言われていますが、大学の先生がおっしゃるのは、日本に来る中国人はアメリカやヨーロッパに行けなかったので仕方なく日本に来た。トップは来ていない、3、4番手の人たちが仕方なく来ている状態だと。これではいけないと思います。アジアのトップクラスの人たちが、行くなら日本へ行きたい、日本を経験したいと思うような国にしていかないといけない。そのためには日本という国をもっとオープンにする。人が来やすいようにする
 ご存じかどうか分かりませんが、日本人がアジアへ行くときにほとんどの国でビザは要りません。しかしアジアの中で日本に来るのにビザが要らないのはシンガポールの人だけです。他の人たちはほとんどビザが必要です。とりわけ東南アジアの女性がビザを取ろうとすると、日本に来て風俗などのホステスになるのではないかといろいろなチェックをされるそうです。役所の人間から聞いた話ですが、タイの銀行協会会長の娘さんが日本に来ようとしてビザを申請したら却下された。タイの女性が日本に来ようとするとビザのときに必ず貯金通帳の残高証明を見せることになっているのです。ところが彼女はあまりにお金持ちでいちいち自分の通帳は持っていなかった。そのために却下され、国際問題になりかけたということです。
 日本人が日常的、一方的に東南アジアなどに出ていき、日本に入ってくる人は少ないという状況ではいけないでしょう。そういう面では私はもし自分がリーダーになれば、日本という国はアジアの一地域として、アジアの発展と共に発展をしていくという道を選んでいかねばならないと思います。私は今「ワールド・エコノミック・フォーラム」という世界ダボス会議などがやっています「ニューアジアンリーダー」というグループでアジアの人たち30代から45才までの若い人と交流しています。アジアの若い人たちは、アジアの統合に向かって少しでも動いていきたいという気持ちがあります。そういう中で日本が「いや、うちはうちだけで」と小さくまとまるのではなく、他のアジアの人たちと共に手を取り合って先頭に立っていく、そして「アジアを知ろう、アジアから何かを発信しようとすればそれはやはり日本から」と思われるような国を作っていきたいと思います。

 しかし何をやるにしても最初に申し上げましたように、人から信用されないと、どんなに4つのことがあってもだめなのです。去年から始めた「リーダー養成のためのイナモリフェロー」というのに去年選んでいただきました。京セラの稲盛さんに1年間にいろいろお話を伺いました。「小泉さんをどういうリーダーだと思いますか」と聞いたら「彼は人気のあるリーダーだね。でも真のリーダーは人望のあるリーダーだ」と稲盛りさんは言っていました。「人望はどのように伝わるのですか?」と聞いたら「人望は人づてにしか伝わらない」。人望というのはテレビから伝わるのではなく時間はかかるかも知れない。「けれど日ごろの努力を怠らない『あの人なら』と言われるような人が本当のリーダーだ」と。重い言葉だと受けとめました。渡邊さんとのお話にも絡みますが、これから厳しい時代であるからこそ、目先のことにこだわらずもう少し広い視野で、人のこと、社会のことを考えられることが真のリーダーがとして必要なことだと思います。

コーディネーター:次世代リーダー像を考えるときに人間的なリーダー像というだけでなく日本がアジアのリーダーたれ、という広い視野でのお話をいただき、私も目から鱗が落ちた思いです。
 さて、次は石井さんから、NPOは今後どのような存在意義を持ちどのような方向性・ビジョンで活動をしていくべきか、次世代リーダー像を含めご意見をいただきます。

石井:私はボランティアグループのおばさんや、介護保険をやっているヘルパーさんたち、若しくは自治体の方とも日々よくお会いします。大きな町から小さな町まで最近は大口町などの町レベルのおつき合いがよくあり、いっしょに仕事をしたりもします。
 私が言うリーダー像というのは的確かどうか分かりませんが「鶏口となるも牛後となるなかれ」という言葉があります。今のNPOのセクター、若しくは地域社会、身近な足元のところの話をできればと思います。
 本当に地域で求められている人は、言い方が失礼かも知れないが、卓越したリーダーでなくてもいいのです。「でも何かやれる。何かやりたい」という人が本当に必要とされています。人口2万人の大口町の職員が嘆くのです。「うちはNPOが無いんですよ」大口町は不交付団体なのでけっこう財源が豊かなのです。財政が豊かなものですから、すごくいろいろな財源をつけてNPOと何かやっていこうとしているわけです。でもその小さな地域の中で「私がやるよ」と言う人がすごく少ない!すごく難しいことを要求しているわけではないのです。1億円の仕事をやれと言っているわけではないのです。せいぜい300万とか、1千万とか、頑張って5千万とかそんな話です。300万っていったら年収じゃないですか。1千万といっても少し稼ぐ人の年収です。そのくらいの事業を回せる人がいないのです。これを誰がやるのか。私は皆さんのような方たちにぜひやっていただければと思います。

コーディネーター:石井さんに質問をさせていただきます。リーダーになれるのは卓越した能力はいらない、やりたいという気持ちがあればということでした。テレビでも取り上げられていますが、NPOという特定非営利法人という名前を利用して、いろいろなビジネスをしてNPOの価値を下げるような人たちがいます。そのために何かをやろうとする方たちの気持ちを阻むのではないかということについて、現在NPOを支援なさっている立場からどのようにお考えですか。

石井:NPOという言葉が追い風なので、その追い風に乗ろうとする人たちがいるのは事実だと思います。ただ必ずそういう存在というのはあると思います。例えば株式会社でも、変な詐欺商法をする会社だってあるし、財団法人でも汚職をやっているケースもありました。NPOも同じです。そもそも悪意を持って使おうとする人には、いろいろなものに悪意を使うでしょう。対抗する手段としてはまともにやっている人がまともにやることであり、同時に使う側若しくは市民や消費者の視点で、そのものを考えていけばいいのではないかと私は割と楽観的に考えております。

コーディネーター:私たちもNPOの活動を知らなければならないし、何かをやりたいと思ったときに、新しいNPOという形ができたのは追い風なのかと思います。困ったときにはぜひ石井さんにお話を聞こうと思います。
 TMCの宮下さんから6代目代表幹事として異業種交流会を今後どのようにやっていくべきか、を含めながら今後のビジョンとリーダー像をお聞きしたいと思います

宮下:そんなことを語れる人間ではありません。3名の方のお話で非常に勉強になりました。特に古川先生のお話からTMCでの自分の立場が代表世話役であったと(笑)よく分かった次第です。そんなことではいけないので、一言申し上げます。TMCは組織だと思っています。基本的にきちんとした目標を代表幹事として立ててそれを実現していく。それを肝に銘じてできる限り続けたいというのが今の気持ちです。会員の皆さまには暖かい支援をいただきますようお願いします。


次世代リーダーとしての一言

コーディネーター:先ほどのリーダー像のところでパネラーの皆さんからメッセージはいただいたかと思いますが、最後に今日お集まりのリーダーを目指していらっしゃる方たちとお見受けしております皆さま方に向けて、次世代リーダーとしての何か一言をいただきたいと思います。

渡邊:私がもう一度この飛行船業界に飛び込んだきっかけは2つあるのです。私は船の中で管理職をしており、チーフパーサーとして約100人の部下を抱えていました。しかしご多分に漏れず、親会社あるいは会社からの命令で、中学を出て30年間船で仕事をしてきた3名の船乗り――私は優秀だと思っている――をリストラせよと。特に不可もない目立ったところもない、選ばれるということは会社にとってあまり印象に残らなかった人たちかも知れない。しかし現場ではみんなの影になりながら支える仕事をよくしてくれていた。そういう3名を会社の部長といっしょに肩たたきをしまして、別の会社に移ってもらったり、あるいは故郷に帰ってもらいました。それをやりながらはたと気づきました。人の仕事を減らすことより増やす仕事をやりたいと素朴な思いを持ったことが転職の理由の1つです。
 この中には経営者の方もいらっしゃるでしょうし、大企業の方も公務員の方もいらっしゃるでしょう。ぜひいっしょに仕事を増やすことをしてもらいたいと思うのです。それは、もちろん会社のためにもなると信じていますけれど、このまま日本からあるいは地域から仕事が消えてしまうということは、これはもう経済的な合理的活動であるというのを越えて、やはり何とかしなければいけないことだ思います
 今うちの会社はようやく資本金が1億9千万円まできました。前の会社では何の苦労もせずに飛行船を買って、始めることができた。それは親会社が資本金を10億円ポンと出してくれたからです。大企業はそういうことができるということです。もちろんいい加減なことをやって会社に損害を出させてはいけないのですけれど「なんとかできそうだ、やるべきだ」という仕事をぜひ皆さんからクリエイトしていただいて、そして評論家などのように言うだけでなく、それに1つ噛み込んで新しい仕事を作ってほしい。そして片やリストラした人でも同じ人でも別の人でも雇って、家族を支えていくことをやらないと、切る方だけやっていたのでは国家も社会も会社もいずれ衰亡してしまうと思います。
 私どもの会社が果たして生き延びてそのようにいけるかどうかは分かりません。皆さんも会社や事業の中で徹底的な合理化を進めることに終わるのではなくて、次は仕事を作り雇用を生み出すことも企業の責任だと思っていただき、ぜひいっしょに新しい仕事を作っていただきたい。それが私からのお願いです。

古川:人間の修業をしたいと思っている方はぜひ選挙に出ることをお勧めします。いろいろな思いで選挙に出る人がいますが、私は政治の世界に飛び込んで日々いろんな意味で学ばせていただいているなぁと思います。先ほどからなぜ政治に出たか、またやりたいことについてお話ししています。個人的に言えば、政治をやっているということは自分自身を磨いて、人間の修業をする意味では本当によかった、役所にいたままだったら多分嫌な人間になっていたと思いますので感謝をしています。
 なぜかというと、選挙というシステムは、あらゆる試験よりも、すべての面でチェックを受けるものではないかと思っています。もちろん組織票などは別ですが、私などのように都市部ですと、ほとんどは浮動票の人たちです。別に誰に入れてもいい、何の義理もない人たちにとっては、その人の主観で誰に入れるか決めるわけです。ある人は声がいいから入れるかもしれない。ある人はあんな小さな奴は嫌だといって入れないかもしれない。その何の義理もない人たちにとってみると、自分の1票をどうするかは自分の主観で勝手に決められるのです。外見も内面も含め、何万人もの人たちからチェックを受けるというのは本当に360度なめ回されるように、頭のてっぺんから足の裏までいろんなチェックを受けているのだと思います。
 選挙活動をするのにはっきり言ってここにいらっしゃる皆さんをだますのは簡単です。でもその辺にいる普通のおばちゃんとか、ごく普通の人たちというのはだませません。この人間は信用できるかできないかを本能的に見分けます。すごく恐いです。学歴やポジションがある人や、かつて私がいた役所の人間は簡単にだませると思います。そういう人は外についている肩書きなどで人を見がちですから、目が曇ってしまっている。でもそうでない世界で生きている人たちの方が圧倒的に多くて、感覚は非常に研ぎ澄まされていると私は思います。そのチェックに耐えられるかどうかというところなのです。自分が政治家としてどうなのか分かりませんが、政治の世界に入りそういう形でのチェックを受けているということは自分自身の成長のためには本当によかったと思っています。今も日々が勉強だし鍛錬だと思っています。ですから「今の自分を気に入らない、変えたい」と思っている人は、裸一貫で一度選挙に出てみるといいのではないでしょうか(笑)。

石井:20代の大学を出たてのころから今に至るまで、なぜ私がNPOをやっているかと言えば、楽しいからやっています。NPOの一番面白いところは、肩書き抜きのいろいろな世代、役職、能力、人種の人たちが普通に集まってくることです。例えば私どもの代表理事は現在大学の先生ですが、前は2人代表の1人がスリランカ人でした。事務局長はベトナム人です。そんなことが当たり前にあります。企業の方もいるし、行政の方もいる、NPO、研究者、学生もいる。多分私が普通の会社員や研究者になっていたら絶対触れることのなかった世界を、早い段階から見聞きさせてくれた、触れさせてもらえたことに感謝しています。「だからNPOをやって」(笑)という話ではないのですが、それが私の行動の原点なのかなと思います。
 同時に私が楽しいからやっているというだけでもなくて、今の世の中、変だと思うことがあります。私は親しい友人を亡くしているけれど、今日本人の死因の2番目か3番目に自殺者というのがあるのです。30代や若い世代だとトップが自殺なのです。交通事故死者数が8千人のところを3万人死んでいるのです。絶対変です。うまく言えないのですが、自分自身が働いている数人の小さな職場でも、働き方や生き方が何か変です。変える方法としてNPOというのが適切かどうかは分かりませんが、私のやれる手段として非常に近かった。すぐ手の届くところにNPOという方法があったのでやっていますが、その辺のところが私の行動の原点だし皆さんも何がしか持っていらっしゃるのではないかと思います。

宮下:私の場合はメッセージではなく決意表明をさせていただきます。TMCの代表世話役から、TMCの真のリーダーになるために一言申し上げますと、先々代の代表幹事から引き継いで私の心に残っている言葉は「3つのC」です。それはChange、Challenge、Continue、この言葉を地道にやっていきたいと思います。考えていただければ分かると思います。今後もTMCの活動の中でやっていきたいと思っております。

コーディネーター:本日コーディネーターをさせていただいてリーダーという方はすごい人がなるのではなくて、人間的に皆さんが認める方がリーダーになる方なのかなと思いました。私も異業種交流会の代表をしておりますので、今日お聞きしたお話を今後の参考にさせていただき頑張っていきたいと思います。どうもありがとうございました。

懇親会 〜M.B.club コンサート〜

会場を移しての立食パーティ。お花も飾られ、しゃれた前菜やあたたかいお食事、デザートまで、東山ガーデンさんからのケータリングもおなじみになり、気持ちよくサービスしていただきました。


今回は、ミュージックベルのグループM.B.clubさんのミニコンサートです。

まずは、ハチャトリアン「剣の舞」のオープニングで、歓談中の皆の目と手と口が、パタリと止まってしまいました。 音の美しさとスピードと華やかさにあ然。

あいさつをいただき、森山直太郎の「さくら」に続いて、日本の「さくらさくら」をしっとりと聞かせていただきます。

ハンドベルとは音域や仕組みが異なるミュージックベルは、内田洋行が開発した日本独自のベルです。もともとは音楽教育用に作られたベルですが、ハンドベルのようにまっすぐなフォームでベルを振らなくても正しい音が出るために、テンポの速い曲、複雑な曲、そして、なによりも、踊りながらの演奏が可能なところが、大きな魅力です。


「世界でひとつだけの花」や「コーヒールンバ」なども聞かせていただきました。

テーブルの上のベルはこんな感じです。↓



そして、なんと「トルコ行進曲」の演奏(由紀さおり・安田祥子姉妹のトュラリラら〜と歌うものでさえ速すぎてめまいがするのに!!)。出されているCDの中で、どうやって演奏しているのかとの問い合わせがもっとも多い曲とのことです。写真でも、動きについていけません。

みなさん華やかで美しくて、CDで聞くだけではもったいない、ぜひ生で映像で見たいライブです。目と耳が大満足。


終了後は、案の定、TMCメンバーからの質問の嵐。ベルを手にとったり、連絡先を聞いたり、CDを購入したり、早速企画を思いついている人がいたり・・・。

CDの発売や、イベントやコンサートなどに活躍されています。披露宴などでは、一転、いやし系の穏やかな曲を演奏されたりしているそうです。


HPもごらんくださいね。
http://homepage2.nifty.com/mbclub/

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